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​ *絶海に叫ぶ

         小説『船頭重吉と督乗丸(とくじょうまる)遭難始末』

                     1

    文化十年(一八一三年)十一月四日深夜、遠州御前崎沖。

 船が空へ巻き上げられたと思った瞬間、いっきに谷底へと叩きつけられた。

床板でしたたかに身体を打って息が詰まったところへ、波の壁が崩折れて、追い討ちをかけるようにふたたび重吉達を甲板に叩き伏せた。

「うっー!」と呻き声を発して、ようやく起き上がろうとするところへ、今度は垣立(かきだつ・甲板の側壁)を乗り越えた波が、横殴りに重吉たちをなぎ倒した。重吉は、海中に落とされまいと、必死にそばの船木にしがみ付いた。

​ 船をまるのまま海中に引きずり込もうと荒れ狂う嵐の中で、尾州名古屋の千二百石積み廻船「督乗丸」は、今まさに破船の瀬戸際に追い詰められていた。

​   船は、まるで鯨の背に乗っているかのごとく荒れ狂う波に空高く放り上げられたかと思うと、次の瞬間には、谷底へ叩き落とされることを繰り返している。腰に命綱を巻いて必死に船と積荷を守ろうとしていた水主(かこ)たちも、今では自分の命を守るだけで精一杯であった。

 船頭の重吉はじめ乗組の水主たちは、賄い(まかない・船頭補佐役)の孫三郎から炊(かしき・飯炊き)の房次郎に到るまで、皆、髷(まげ)を切り落としたザンバラ髪を振りみだして、神仏の加護を求める姿になっている。その全身濡れネズミになった身体に、風に煽られた無数の冷たい雨滴が鋭い針となって打ち付けた。

「舵を、舵を離すなっ・・・!」

​たたきつける雨と風、間断なくなだれ込んで来る波に息を喘がせながら、船頭の重吉は艫(とも・船尾)で必死に舵と格闘している藤助や七兵衞・庄兵衞たちに叫んだ。だが、声は強風に吹きちぎられ浪にさえぎられて、藤助たちに届いているかどうかも定かではない。ただ、たたきつける風雨の合間に切れ切れに聞こえて来る「おぅ・・・、おおぅ・・・!」というケダモノのようなうなり声で、彼らが力をふりしぼって舵を安定させようともがいている様子が感じられた。

「舵柄を離すなっ! 舵柄を離せば、外艫(そとども・舵を囲っている船尾の作り)ごと波に持って行かれるぞっ!」

顔にかかる海水にむせびながら、重吉は叫び続けた。

 この督乗丸はじめ日本の弁才船(べんざいせん)の舵は、その大きさのわりには構造が脆弱であった。水深の浅い河口の湊(みなと)にまで入るために、引き揚げ式になっているからだ。つまり舵は西洋船のように船体構造と一体ではなく、ただ綱で船尾に結びつけられているだけなのである。そのため、取り付け部分を守るように外艫(そとども)と呼ばれる囲いが船尾に付けられて

いるのだが、このように海が荒れて舵がバタつくと舵と外艫が互いに打ち合って破損することが多かった。そして、舵を失えば船は沖へと流されて、ふたたび陸へは戻れなくなる。船乗りたちは、それを何より恐れた。

 船頭の重吉は、船を沈没から守るために胴の間(船体中央部)に積んである積荷を海に捨てる作業を指揮しながら、また艫(とも)の方に叫んだ。

「今、音吉を行かせるぞっ! それまで何があっても舵を離すなっ!」

重吉に言われた伊豆子浦(地名)の音吉は、高波が打ち込んで来る間合いを見計らって、胴の間から舵柄のある後部屋倉の屋根へ這うようにしてのぼって行った。

 六尺まわりの堅木の舵は、うねる波にもてあそばれて右へ左へと揺れ動き、ときおり暗黒の天空に鋭いヒビ割れ文様を走らせる稲妻が、それに取り付いている藤助や七兵衛・庄兵衛ら三人の黒い影を浮かび上がらせていた。

         

                                                                                                                                                                                                   

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