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パクリ問題について

佐野研二郎氏デザインのオリンピックエンブレムが、パクリだとして白紙撤回されたことが、どうにもスッキリと納得出来ない。『人が何かを創造するのは、他者の模倣から始まる。』とは、著名な評論家の言葉である。だから模倣という行為には、少なからずその元の物にたいするあこがれやリスペクト(尊敬)が含まれていると思えるのだ。それをパクリ(模倣)として一律に断罪するは、世の中の進歩や広がりを阻害することにつながりかねない。そもそも模倣が、パクリとして断罪されるのは、その模倣によって元の物の価値がおとしめられたり、得られるはずの利益を阻害されたり、見る者聞く者に著しい不快感を与える場合だけではないのだろうか。映画の世界での事であるが、あの有名な黒沢明作品の『七人の侍』や『用心棒』が、ハリウッドやマカロニウェスタンで模倣作品の『荒野の七人』や『荒野の用心棒』になったのは有名な話である。作品(模倣の)が出来あがってから監督やプロデゥーサーが黒沢明に電話で詫びを入れた時に、黒沢監督は快く了解して作品がヒットするようにと伝えたそうである。そんな黒澤明の人間としての度量の大きさはひとまず置くとしても、もしもこの時に黒澤がそれを『パクリだッ!』『心外だッ!』と断罪して訴訟ざたにでもしていれば、われわれは『用心棒』と同じように『荒野の用心棒』をも楽しむことは出来なかったろうし、またクリント・イーストウッドという、それまであまりメジャーでなかった俳優が、一躍ハリウッドでもてはやされて、今日の名監督になるところも見る事はなかっただろう。つまりこの時の模倣(パクリ)は、一つの傑作を二つの傑作に増やし、無名の新人をメジャーに飛躍させるキッカケになったのである。さてそのように考えれば、このたびの佐野氏のエンブレム問題もベルギーの劇場のマークを作製したデザイナーと間で互いにリスペクトして、共に世界に名を(今回のような悪い意味ではなく)とどろかせる良いチャンスではなかったのだろうか? 話のスジからそれるかも知れないが、敢えて言うならば今回のどちらの作品も、さほど秀逸だとは思われない。幾何文様の基本中の基本とは、丸、三角、四角である。その三つを使って[ T ] の文字をデザインすれば、たいがいあのようになるのではないか。ベルギー側のものもそうである。似たようなものを探せば、どこにでも見つかりそうなものだ。つまり、両者ともそれほど独創的でも世に二つとない傑作でもない(いや、だからこそベルギー側はチャンスと見て騒いだのかも知れないが)と思われるのだ。だから、本当は両者が歩み寄って共に相手を尊重すればそれで両者とも得るところがあったものを、実に残念である。今後このような問題が起きた時に、皆が不快な思いだけを残す今回のような解決ではなく、さきの黒澤明監督のような誰もが幸せになる解決になることを願うのみである。

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